「過去のいかなる修行者も、そして現在のいかなる苦行者も、さらには未来のいかなる出家者も、私自身がなした苦行以上の苦行をしなかったし、またしないであろう。」と釈尊自身が告白していますが、おそらく想像を絶するような苦行であったと思われます。
それは、単なる肉体的な苦行だけではなくして、国家や家族をも捨てたことに対する、精神的な苦痛、さらには、悪魔の誘惑という物語で象徴される、外界からのさまざまな誘惑に対する精神的動揺も含まれます。
肉体的苦行としては、肉体をさまざまな方法によって痛めつけることのほかに、断食・断水といった、自餓・自渇と呼ばれるものも含まれていたのです。だからこそ、まさにその苦行中は、血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの苦闘であったと同時に、村娘スジャーターから施された乳糜(にゅうび)を受けて何とか瞑想に入ることができたほど、飢えと渇きとによって衰弱していたのでした。
しかしこのような苦行は、出家以前の享楽的生活と同じように、両極端の一端にしか過ぎないことに気がついたシッダールタは、ついに苦行を捨てて、後に菩提樹と呼ばれるようになった一本の木の下に端坐して、静かな瞑想に入ったのです。
したがって、この最後の修行の方法を、後になると、両極端を否定したところから生ずるという意味から 「中道(ちゅうどう)」 と呼ぶようになったのです。
※ただし、この中道というのは、単なる真中の道ということではなくして、偏った二つの極端な考え方を明確に否定したところに自然に浮かび出るものであって、現在用いられているような安易な意味での中道ではなかったのです。
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