後に三学とよばれるようになった、三種類の実践行を中心とした生活が行われていました。
三学というのは、日常生活における規則としての戒律、精神集中の方法としての禅定(ぜんじょう)、そして真実を見通す洞察力としての智慧、のことです。
戒律というのは、初めから一定の数のものが作られていたわけではなく、必要に応じて作られていったのですが、基本的なものとしては、後になると在家信者にも守られるようになってくる五戒です。
五戒というのは、不殺生戒(ふせつしょうかい)、不偸盗戒(ふゆうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)のことですが、この中の不邪淫戒は、出家者の場合は不淫戒になるので、当然ながら結婚することは許されていませんでした。
不殺生戒は特に重視されたようで、雨期の間は、たとえそれが宗教活動であろうと、外出が許されなかったのは、生き物の生命を奪う可能性があったからなのです。
出家者は、自らが生きるための労働を許されていなかったので、すべての生活必需品は、在家信者からの布施(ふせ)によってまかなわれていましたが、毎日の食事を得るために、早朝の乞食(こつじき)か行われていたのです。この食事は、午前中に限って許されており、正午過ぎには、いかなる固形食物も摂取できませんでした。
禅定(ぜんじょう)というのは、坐禅という言葉に象徴されているように、現在では坐るという方法が最もよく用いられていますが、何事をする場合にも、精神の統一が要求されたのです。
そして最後の智慧こそが、お釈迦様の教えを学ぶことであり、したがって、教えを読誦し、意味を考え、しかも、その教えを実践する努力をしていたのです。
このように、お釈迦様の教団における毎日の生活の中心は、あくまでも自分自身の解脱(げだつ)のための実践にあったわけなのですが、乞食行(こつじきぎょう)が同時に信者たちに功徳を積ませることでもあったように、一般在家信者に対する働きかけも行われていました。
すなわち、信者の自宅に招かれて食事の供養を受け、そこで教えを説くということも行われていたのです。
ちなみに、後代の仏教教団にみられるような、信者のための死者儀礼は、おそらくお釈迦様の教団ではまったく行われていなかったと思われます。
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