仏教の伝承によると、釈尊の入滅されたその年に、五百人の弟子たちがインドはマガダ国の王舎城郊外の七葉窟に参集したといいます。彼らはそこで、釈尊が生前に何を教えられたか、またいかなる戒律を定められたかを、互いに確認しあったわけです。
経蔵と律蔵の基本的部分が、ここで編纂されたのです。
しかし、そこで編纂された聖典は、あくまでも人々の記憶にたよって保持され、口伝によって伝承されたのです。そのような時代が数百年間続いたと思われます。
そして、紀元前一、二世紀のころ、このような伝承聖典が文字化されたと推定されています。したがって、お経の成立といえば、この文字化された聖典のことだと思ってよいでしょう。
だが、以上のことは、小乗仏教のお経についていえることであって、大乗仏教経典の成立はやや違った事情にあるのです。というのは、大乗仏教は小乗の出家主義(出家だけが救われるという独善主義)を否定して、在家もまた救われると主張しました。そして、そのような主張をお経のなかに盛りこんだのです。だから、形式的にいうならば、大乗仏教の経典は釈尊が説かれたものではありません。後世の仏教徒たちの創作ということになります。
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