お経を読むから“読経”というわけだが、日本人は、仏前で読誦することだけを読経と考えて考えているようです。お経というのは、もともと釈迦牟尼仏という仏教の開祖によって説かれた教えが書いてある聖典を指しますが、現在では、どの宗派でも、宗祖やその宗派に関係ある高僧によって書かれたものまでをも含めてお経と呼んでいる場合が多いです。
日本人は、文字を中国から習ったのですから、漢訳された経を日本に持ってきて、それをそのまま読んだのです。
すなわち、訓読みしないでも、少なくとも江戸時代までは、そのまま音で読んだだけで内容を理解したものと考えられます。
明治以後、西洋文明を受け入れるようになると、だんだんと中国語を理解できる日本人が少なくなり、単に音読されただけでは何のことかさっぱりわからなくなったのです。
もともと読経の目的は、お釈迦さまや高僧たちの教えを、その場に出席している人々に伝えることにあったのですから、現在のように、音読みでは意味がわからない人が大部分になった時代には、訓読みするか、現代語に解釈して読むべきだ、との説もあります。
しかし、もう一つの読経の効用は、儀式の宗教的雰囲気を盛り上げるためであり、したがって、声明(しょうみょう)と呼ばれる、一種独特な仏教リズムがつけられています。音読みしなければ、こういったリズムがくずれることになりますので、儀式には音読みし、そしてその内容については、一人一人の仏教徒が、じっくりと訓読みして理解するべきでありましょう。
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