日蓮は『観心本尊抄』の中で、「釈尊の因行・果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう。」と説いています。 これは、釈尊の成就した悟りの世界のすべては、妙法蓮華経の五字の中にすべて含まれているというもので、そのため、だれでも、この五字を受持し、帰命すれば、自然に釈尊の成就した悟りの世界が体得できるというものです。 すなわち、一所懸命、「南無妙法蓮華経」と唱えれは、釈尊の悟りの世界が実現できるというものです。
また、一所懸命に「南妙法蓮華経」と唱えると実現される世界が『法華初心成仏鈔』に次のごとく説かれています。 「私たち衆生の仏性と、梵天・帝釈などの仏性と、舎利弗・目連などの仏性と、文殊・弥勒などの仏性と、三世諸仏の悟りの法が一つであるという真理を妙法蓮華経という。 それ故、南無妙法蓮華経と唱えれば、すべての仏、すべての法、すべての菩薩、すべての神々、
すべての衆生の仏性が、一音に顕われ、その功徳は大変大きい。 私たちの心の妙法蓮華経を本尊とあがめて、私たちの心の中の仏性が南無妙蓮華経と呼び呼はれて顕われたところが仏である。 籠の中の鳥が鳴けは、空を飛んでいる鳥が呼ばれて集まってくるようなものである。また、空飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出てこようとするようなものである。口に妙法蓮華経と呼べは、私たちの仏性も呼ばれて必ず顕われる。梵天・帝釈の仏性も呼ばれて私たちを守り、また、仏・菩薩の仏性も呼はれて悦ぶ。」
いずれにしても、だれでも仏になれるという天台宗の思想を受けつぎ、口に南無妙蓮華経を唱えれば、だれでも仏になれると説いたのが日蓮の教えといえます。
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