僧侶について

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托鉢とは
托鉢とは

 托鉢行は、頭陀(ずだ)行とも乞食ともいい、釈尊以前からインドにあった修行生活で、当時の教団にも採用されていました。現在でも仏教を信じる各国で修行されています。

 頭陀は、梵語ドフターの音写で、衣食住に対する貪りを払いのける修行で、詳しくは十二種の頭陀行があります。要するに、すべてに偏向することなく、何ものにもかかわらない無執着の行<無着(むちゃく)の行>を積んでいくのです。

 禅教団では、いろいろ規定され、作法も厳しくきめられています。一定の行儀にしたがって在家から食などを受けるのでパインダパーティカ<乞食(こつじき)>ともいいますが、いわゆるこじきではありません。 たとえば、托鉢は午前中に限ること。生命を支えるに足るだけを受け、それ以上を乞食してはならぬこと。在家に迷惑をかけないことなどです。

 午前中に限定されるのは、午後の暑熱の厳しさだけでなく坐禅等の修行にあてるためです。 托鉢は、生命を支えればいいので、手に持つ鉢(はつ)<食器>は僧団で認められた私有物の一つです。 材料・色彩・大きさともに規定の法に適わなければいけないから「応量器」(おうりょうぎ)といいます。 あるいは、各自の個人差に応ずるからこの名があるとの説もあります。 材料は、鉄か陶土にきめられています。 木製は外道の持つものとして本来は禁じられています。 石鉢は仏陀の持ち物に限られています。

 手に持つ杖を錫杖(しゃくじょう)といいます。 錫杖の頭部に八個の小環があるので、錫杖を地につくたびに音が出ます。 地上の小生物や毒虫が音に驚いて逃げます。 無用の殺生と身の安全を保つためですが、律典では錫杖の使用法もいろいろと規定を設けています。 修行僧が必す錫杖を持つことから、諸国を廻るのを巡錫(じゅんしゃく)、滞在を留錫<掛錫(かしゃく)とも>といいます。