鬼と仏教
鬼のインド・中国・日本に描かれるイメージはかなり違うようです。日本の鬼の話は仏教経典を通じてのインドの夜叉などのイメージ、中国の陰陽道のイメージがひきつがれている面が強いといいます。
『大鏡』に「面は朱の色にて円座のごとく広くて、目一つあり、長は九尺ばかりにて、手の指三つあり、爪は五寸ばかりにて刀のようなり、色は緑青にて、目は琥珀のようなり、頭の髪は蓬のごとく乱れて……」と語られるイメージは、仏典のなかにしばしば現れる人鬼(たんじんき)、飛行をする羅刹・羅刹婆や餓鬼の説術と近似しているといいます。
恵心僧都の『往生要集』には地獄のありさまを諸経文の引用によってつづられていますが、それは気も動転せんばかりの恐ろしい描写となっています。仏典のなかに鬼のイメージのもとがあることがよくうかがえます。また、謡曲「黒塚」の鬼女は六度集経・仏本行集経などに出る雲間本生に酷似し、鬼ガ島・鬼界ガ島の説は、経典中の羅刹国と同じ考え方ではないかとされています。
また、丑寅の方(北東の方角)に鬼の住所があるので鬼門というというのは陰陽道の説であり、角をはやして皮のふんどしをした鬼の絵は、おそらく地獄の阿傍獄卒(あぼうごくそつ)の姿を写したものであろうといいます。
仏典にはしばしば鬼神が現れます。鬼神は自由自在に変化するが、仏教を護持し国家を守護するものもあれば、兇悪をほしいままにして人畜等を悩害する怪物もあります。仁王経には「国土乱れん時はまず鬼神乱る。鬼神乱るるがゆえに万民乱る」と述べられていますが、兇悪な鬼神もひとたび仏法に帰依し仏法の法味を嘗めれば、仏法守護の善神となるのです。鬼子母神は安産・幼児養育の守護神とされていますが、もともとは王舎城の夜叉神の娘です。
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