寺と神社
仏教が欽明天皇の時代にわが国に伝わって以来、初めは朝廷や貴族の間にひろまり、漸次一般庶民にもひろまると、いつしか固有の惟神(かんながら)の道を神道といい、外来の仏教と区別するようになりました。
平安時代に入ると、神は仏の権化だという本地垂迹(ほんじすいじゃく)の権現思想がひろまり、寺院内に神を奉り、また神社内に神宮寺を設けて社僧を住まわせ、仏を礼拝するようになりました。
鎌倉時代の新仏教の祖師たちは神を俗世界の存在とみなし、現世否定の超越的な仏教信仰に専念し、他方、神道も独立して日本の神を仏よりすぐれたものとする反本地垂迹説を立てて分立し、お互いがときには対立、論争することさえありました。
江戸時代になると、徳川幕府は慶長18年(1613)寺社奉行を置いて全国の神社仏閣を監督・統制し、一方、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤などによって国学が復活して神仏分離の運動を展開しました。
明治維新を迎えて祭政一致の王制復古がはかられると、同元年3月28日に神仏分離の布告が発せられて神社と寺院はそれぞれ独立し、神社は国家神道に組込まれ、寺院は廃仏毀釈の憂目にあいました。
しかしながら敗戦後、新憲法の発布によって信教の自由が保障され、寺院・神社ともに宗教法人法にのっとり、それぞれの宗教活動を行い、今日に至りました。
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