お寺で豆まきをする理由
節分というのは立春の前日をいい、大寒の末日で、冬の節が終って春の節に移るときであり、たとえば飛騨の白川地方などでは「節替(せつがわり)」などとも呼ばれています。また節分の夜を大年(島根県那賀郡、壱岐島)・歳の夜(徳島県海部郡・愛媛県周桑郡)・ミテノヒ(年の終わる日という意。山口県大島郡)などと呼ぶことがあることからも、稲作民族である日本人のもう一つの正月がこの節分であったことも知れましょう。
節分の豆まきが「豆年越」と呼ばれたのは、『徒然草』にいうとおりの大晦日の豆まきという古いタイプを示す語です。この豆を自分の年の数より一つだけ多く食べるという風習が全国的にありますが、それも年越しの折に行われるからこそ意味があるのです。この豆を打つということは、室町時代の『花営三代記』にみえるのが初めらしく「節分大豆役、昭心、カチグリ打、アキノ方、申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテ、アキノ方ニテ止」とあり、特に鬼に対してマメを打つのではなかったのです。
・鬼について
古くは平安時代末の『中右記』に、正月の「円宗寺修正会鬼走」としてでてきています。当時は鬼とともに竜天や毘沙門天もでるのであり、鬼と毘沙門天が走る形は奈良薬師寺と法隆寺の修ニ会に今でも残されています。
節分の鬼は、実はこの修正会と修ニ会の呪師芸から起こったのです。この鬼は悪いものではなく、反対に悪魔払いや厄払にの修法をしたのでした。ですが、次第にその意味は忘れられ、鬼は災難厄疫の象徴とされ、これに豆を打ちつけ払うことによって精霊鎮圧を意味するようになりました。
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