仏像を拝む理由
家族と離れて暮らしている人は、よく家族の写真を机の上にかざったり、或いは恋人同士はお互いに写真をいつも持っていて、朝夕にその写真に向かって語りかけたり、あるときには食ぺものなどを供えたりします。このとき、その人は写真そのものに話しかけたり、食べものを供えるのではなく、写真を通して、離れている家族や恋人に話しかけ、会っているのです。
これと同じように、仏像を拝むのは仏さまの姿を刻んだ像を通して、仏さまを拝んでいるのです。
それでは、あくまでも仮りの姿であるのだから、どんなものでもよいのではないかという主張もありますが、やはり人間は感情をもった者ですので、自分の目の前にある姿に影響をうけます。
かつてインドの古い時代には仏さまを樹や法輪、台座、足跡などで象徴していましたが、ギリシャ文化の影響をうけて理想的な人間の姿に表現されてからは、すぺて仏像として彫られるようになりました。
これが人問の感情のおもむくところではないでしょうか。仏像は、拝む人にとっては、その像を通して仏さまを拝むのですが、また同時に、その像自体にも仏さまそのものとしての感情を持っていて、その像を大切にする念が起こるのは自然のことでしょう。
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