金ビカの仏像・仏画
仏像にはその素材に木材や金銅や石材などが用いられていますが、とりわけ燦然と輝く金色の仏像が異彩をはなち、それを眺める人々に尊崇畏敬の念を抱かせるのは想像にかたくありません。
ところが、仏教の開祖である釈尊がなくなられてから礼拝の対象として仏像がすぐ造られたわけではなく、ましてや金ピカの仏像が初めからできたのでもありません。当時の仏像は石像が圧倒的に多く、それについで塑像が造られ、金銅仏はずっとあとのことです。
実際に金ピカの仏像を造るようになったのは、彩色や鋳造が可能になって塑像や金銅仏ができ上がってからのことです。
わが国には欽明天皇の13年(日本書紀によれば)に初めて百済の聖明王がもたらしたものが釈尊の金銅仏であったせいもあり、仏像といえば金ピカなものという先入観があり、そのすばらしさに圧倒されて急速に仏教のひろまる原因になりました。
仏を荘厳する補助手段として用いられる仏画を制作する功徳は「法華経」方便品の偈頌に「彩画して仏像の百福荘厳の相をなすこと、自らも作し、もしは人をしてもせる、皆すでに仏道を成じき」とあるようにインドから仏像とともに中国にもたらされました。
「無量寿経」や「阿弥陀経」に西方極楽浄土の様子が描写されているように、仏の世界は光明に照らされて金色にかがやくところから、中国や我国では浄土曼荼羅の金泥図や金字塔が盛んに造られ、平泉の金色堂のように仏殿そのものを金箔押しして、さながら現世に極楽浄土を具現しものすら造られました。
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