堂建立主は、名物校長阿刀田令造先生であった。その時の明善寮の鐘は、第二次世界大戦の時供出されている。
発願して2年経過の後、開創800年、向山遷座400年、大満寺三十世金剛禅貞大和尚七回忌報恩大事業として昭和58年5月、仙台地名由来の千躰仏奉安殿千躰堂、十二支守本尊奉安殿八角堂の落慶を迎えることとなった。これも偏に、御信仰厚い人々のたまものと、深い感謝の念で一杯である。
仙台の千躰仏の起源は、いったい何処にあるのだろうかと常々不思議に思っていた。きっと、どこかにあるのであろうと考えていた。あるいは昔の都にその源流があるのではないだろうかとも考えていた。偶然、京都の東山蓮華王院の三十三間堂の千躰仏を拝観する機会を得た。仙台の千躰仏のルーツは、1164年後白河上皇の創建になる三十三間堂ではないかと思いはじめた。
金箔を張り付けた等身大の絢爛豪華な千個の千手観音である。
昔、人の往来があまりなかった時代、誰かが、あるいは、陸奥人が、都に行った折、そのお姿を拝観して、仙台の地にも、お祀りしたいと願い、せめて小さな木彫りのそれらに似せたお観音様でも・・・。そういった願いが込められて大満寺の千躰仏は創られたのではないだろうかと、そんなことを思いめぐらしているのである。
人間として、この世に生を受けた時、人は四苦八苦の苦しみ、悲しみ、煩悩にさいなまれる。
しかし、一度、虚空蔵尊の山門をくぐり、長い石段を一足一足登って行く時、人は、この世の迷いから解き放たれる。登りきって、仙台が一望出来る美しい境内に入った時、人は、そこで御仏に心身を投げうって、ひたすら祈念すれば、かならず救いと安穏を得るであろう。まさに境内は、御仏の御悲慈に充ちた悟りの浄域である。深い信仰をもつことは、己の人生に至福をもたらすことである。
一人でも多くの人々に参拝を乞い、虚空蔵大菩薩、十二支守本尊、千躰観音の御光と御加護を受けることを願い上げる。
合 掌